立川市の北半分、砂川という地域の名前は、市内を流れる残堀川に由来していると言われています。かつ ての残堀川は大雨が降ると氾濫することもありましたが、普段は砂と石がむき出しの「砂の川」であること がほとんどでした。江戸時代の初め、砂川の新田開発は、この残堀川に沿って進められました。
その後、人工の川・玉川上水が整備され、五日市街道に並行して流れる砂川分水が開通すると、砂川の開 発も本格化します。最初の開発は現在の武蔵村山市域から南へ向かって進められました。移り住む人々が増 え始めると、五日市街道に沿った土地が順に振り分けられるようになり、次第に集落は東西に長く成長して いきます。このようにしてできた横に細長くのびた村を、地元の方は「二に里り八は っ町ちょう・長な が新し ん田で ん」と呼んでいまし た。
今号は砂川にスポットを当て、今に残る砂川の地名と、砂川の小学校開設の歴史(部会特集)について紹 介します。砂川について新しい発見や違った側面を知るきっかけになればと思います。
目
次
砂川・五日市街道の航空写真 昭和31(1956) 年1月6日 歴史民俗資料館所蔵
ニ
リ
ハ
ッ
チ
ョ
ウ
ナ
ガ
シ
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デ
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*連載* 立川写真館「ふつうのすながわ」 ...12 ・新しい市史の編さんによせて ...2
・第2期・立川市史編さん委員会委員 ...2 ・部会短信 ...3 ・砂川めぐり∼名前でたどる歴史 ...4∼5
・部会特集(近代部会) 砂川村の小学校
∼高等小学校開設まで ...6∼7 ・「立川の史料を読む会」活動紹介 ...8∼10
・平成29年4月∼9月活動報告 ...11 ・資料提供のお願い ...11
4
新しい市史の編さんによせて
第1期(平成27年9月1日から平成29年8月31日まで)の立川市史編さん委員として参加いただいた星由紀さん に、ご自身がこれまで活動されてきた経験を通して、市史編さんに寄せる思いをうかがいました。
市民の学びや活動と共に
(星 由紀 前・編さん委員)
この度「新しい市史」について、一人の市民として考える機会をいただきました。そうし た中で、昭和30年代の立川駅前の写真に幼い頃の記憶を重ね、向郷遺跡には発掘に参加した 20年前を思い出しました。
市の生涯学習の場などに参加して数年が経った今、印象深く思うことがあります。市民と なってからの年月に関わらず、縁あって立川市に集う多くの皆さんの学びへの意識が大変高 いということです。殊に立川市の歴史や物事の成り立ちを考え踏まえた活動を行う場合は、
折々に「郷土への理解や愛情を深めながら、まちづくりや市民生活を考える」ことも合わせて問われているよ うに思います。
市民企画講座では文化財の保存修復について学びました。特に、東京国立博物館が東日本大震災後から行っ ている被災文化財レスキュー活動には、被災文化財を再生させることが住民の心を守り、被災地の真の復興に も繋がることを痛感しました。同時に、立川市の文化財への思いを新たにしました。
前回の市史編さん時同様に、きっと今回も多大の資料が提供されることでしょう。未来に向け、それらが貴 重な地域の財産として滞ることなく整えられていくことが望まれます。これからも市民の歴史は積み重なって いきます。資料の保存・活用のしくみを考えていくこともとても大事なことだと思います。
新しい市史がさらに身近で市民の学びや活動に寄り添い、支えとなることを期待します。
第2期・立川市史編さん委員会委員
立川市史編さん委員会は、市長の諮問機関として設置され、市史編さんに関する基本的な事項について審議しま す。このたび、第2期の立川市史編さん委員会が始まりました。任期は平成29年9月1日から2年間です。
職 名 氏 名 所 属 等
委 員 長 白井 哲哉 筑波大学図書館情報メディア系教授
副委員長 楢崎 茂彌 多摩戦時下資料研究会
委 員 大友 一雄 国文学研究資料館教授
委 員 小坂 克信 公募による市民
委 員 杉山 章子 公募による市民
委 員 鈴木 功 前立川市文化財保護審議会会長
委 員 豊泉 喜一 立川市文化財保護審議会会長
委 員 保坂 一房 たましん地域文化財団歴史資料室長
3
部会短信
(平成29(2017)年度前期)
近代部会
5月より立川市の永年保存文 書となっている歴史的公文書の 撮影作業を開始し、主な史料の 撮影を7月までに終えました。 立川市歴史民俗資料館が所蔵す る昭和20(1945)年までの立川 村役場文書・立川市役所文書に ついては、業者委託による撮影 作業を進めています。これまで に約半分を終えていた砂川村役 場文書のマイクロフィルムのデ ジタル化も、秋には完了しま す。新しい市史の骨格をつくる 歴史的公文書の閲覧体制がよう やく整い始めました。これらの デジタル化作業とあわせて、『資 料編・近代編②』(平成32(2020) 年度刊行予定)への掲載史料選 定に取り組んでいます。
現代部会
昭和20(1945)年の終戦から 昭和38(1963)年の立川・砂川 合併までを扱う『資料編・現代 編①』(平成31(2019)年度末 予定)の刊行に向け、砂川村役 場文書・立川市役所文書の調 査・撮影作業を進める一方、外 交史料館・国会図書館などで、 米軍立川基地関係の資料調査を 行っています。
上記の調査と並行して、立川 のまちづくりについて関係者か らの聞き取りを行い、公文書な どの文字資料では分からない、 当事者の実感に触れることがで き ま し た。 ま た、 4月29日 に は、西砂川∼砂川地区の巡見を 行い、その際立川市が戦後制作 した広報映画を鑑賞しました。
。
民俗・地誌部会
5月の末に座談会を開き、柴 崎町1丁目で横町・出口地域を 中心とする方々から、行事や暮 らしのお話をうかがうことがで きました。自然環境・景観の調 査では、屋敷林のあるお宅を訪 問して、暮らしの中での植物と の関わりについてお話をうかが いました。また、諏訪神社例大 祭、阿豆佐味天神社の祭礼に加 え、獅子舞やお囃子についても 調査を行っています。その他の 個別テーマの調査も並行して進 めています。
民俗調査の過程では、古文 書、写真、道具等の貴重な資料 を多数確認でき、拝借、複写等 をさせていただく例も少なくあり ませんでした。ご協力くださっ た方々に厚く御礼申し上げます。
先史部会
昨年度に引き続き、向郷遺跡 出土の竹内氏寄贈資料を整理 しています。①実測図のデジタ ルトレース、②土器の材料の採 取地や製作地を推定する胎土 分析、③土器の胎土に残された 種子の痕跡の分析、を中心に作 業を進めています。また、大和 田遺跡第1次・第3次・第4次 地点出土資料の整理と、古墳と される塚の測量調査も始めまし た。さらに、市民の方が所蔵さ れている石器や土器片の調査も 始めています。かつて敷地や畑 で石器や土器片を拾ったことが あるなどの情報をお持ちでした ら、市史編さん担当までお寄せ いただければと思います。
古代・中世部会
昨年度から継続して中世武 士立川氏に関する史料収集を進 めています。立川氏は武蔵七党 のひとつ西党に属していること から、他氏との婚姻関係も含め 多摩郡の武士団にまで広げて調 べています。春には普済寺の歴 代住職である開山物も つ が い か じ ゅ う外可什禅 師、二世蔵ぞ う か い し ょ う ち ん海性珍和尚、三世 直じ き あ ん け い た ん
庵啓端和尚、四世桃と う げ ん そ う ご
源宗悟和 尚にゆかりのある市内外の寺社 にて史料調査を実施しました。 その際、江戸時代初期に作成さ れた古文書や位牌などを確認す ることができました。また、市 内には鎌倉∼室町時代に作られ た石造物が残されており、今回 は個人宅で保管されている板碑 の調査を行うことができました。
近世部会
名前でたどる歴史
砂川めぐり
立川市・砂川<すながわ>
過去と現在をつなぐ「道」
砂川の成り立ち
土地の名前は、その地域の特徴を反映して名付け られたものや、開拓を指導した人物、その出身地か ら付けられたものなど、成立の由来はさまざまです。
道の名前も行先の地名が道路名になることが多い ですが、土地の名前がそのまま使われる場合や、神 社・寺院への参拝や観光に行くための道であったこ とを示す場合もあります。
土地の名前や道の名前は、時代によって呼び名が変わったり、同じ場 所でも違う土地の人々からは別の名前で呼ばれることもあり、その変遷 を詳細に示すには多くの情報が必要になります。また、名前の由来がさま ざまであるのと同様に、名前が使われなくなった理由もさまざまです。そ れらをつなぎ合わせることで、砂川の歴史をより深く知ることができるで しょう。
現在の立川市がどう やって成立したか、み なさんはご存じですか?
昭和38(1963)年、立川市(旧柴 崎村、立川市域の南半分)と砂川 町(旧砂川村、立川市域の北半 分)が合併したことで現在の立川 市となりました。立川市は、二つ の自治体が合わさってできた市な のです。
今回は砂川町にスポットを当て てみたいと思います。
砂川の誕生は江戸時代までさかのぼります。江戸時代初 期、江戸城改修と町の拡大のため、現在の多摩地域から資材 や燃料を調達する街道のひとつとして五日市街道が整備され ました。しかし、砂川をはじめとする、武蔵野台地の地域は 火山灰質の土壌に覆われ土地は田畑として運用しづらく、水 源にも恵まれなかったため、開発はほぼ手付かずでした。
そのような環境の中で、「砂川三番」辺りに砂川で最も古い 井戸(まいまいず井戸と呼ばれる様式の井戸)のひとつが掘 られました。次第にこの辺りに人々が住みつくようになり、砂 川の新田開発が進んでゆきます。江戸の水の確保のために人 工の川・玉川上水が整備され、その後五日市街道に並行して 流れる砂川分水が作られると、砂川の開発も本格化しました。
・この地図は最新版の立川市役所発行『立川市市民マップ』と立川市教育委員 会発行『立川を歩く』を元に作成した地図です。表記されている道路名は現在 使われているもので、砂川の昔の地域の呼び名に関連・由来するものです。 ・地図上に配置された写真は砂川でかつて使われていた地域の呼び名が現在で も確認出来る標識やバス停です。今でも通称として親しまれていたり、公園名 や団地名としても使用されています。
凡例
主要な建物
多摩モノレール駅
西武線駅
交差点標識設置場所 バス停留所
5
砂川の歴史の足跡を探して
道と道が交わるところに交差点ができるように、 川と道が交わるところに橋は架けられます。玉川 上水に架けられた橋で、昔からあるものは名前が 変化したものもあります。その中でも特に重要な ふたつの橋をご紹介します。
一番町にある「天王橋」は、砂川に古くからあ る橋のひとつです。南側にあった天王社が名前の 由来とされ、かつては玉川上水を横断する街道の 名前から「五日市橋」とも呼ばれていました。交 通の要所として使われ、現在の天王橋交差点の交 通量を見ても人が行き交う当時の様子がうかがえ ます。
砂川町三丁目の「金比羅橋」も村山(所沢)方 面へ渡る村山街道と玉川上水が交差する場所に あったため「村山橋」と呼ばれていました。橋の そばには神社が祀られている小高い丘、金比羅山 があり、現在の名前の由来となっています。
昔から交通の要所であった橋は、時代が変わっ ても多くの人に利用され続けています。いつも通 る橋の名前に注目して、昔の砂川に思いを馳せて みてはいかがでしょうか。
「砂川○番」という呼び名は村や市が出来るより以前の 「組」という地域の共同体からきています。かつて砂川では 一番組から十番組までの組が存在し、通称としても長く使 われてきました。各組ごとに地域の道路や水路の管理、住 民全体で行う行事や農作業のとりまとめが行われてきまし たが、合併後の町名地番整理により、その後は新しい町名 が使われるようになりました。
今回の特集では、交差点の標識や道路の名前として今で も存在が確認出来る砂川の昔の地域名をまとめました。普 段何気なく見ている名称から、昔の砂川を知る手がかりが
得られます。
町
と
人
を
つ
な
ぐ
﹁
橋
﹂
玉川上水と五日市街道が交わる「天王橋」
現在の幸町辺りを「下しも宿じゅく」、「はけ」、「田た掘ぼり」など、更に細かく呼ぶ地名もかつてあり、
砂川ではそういった通称が多く存在しました。古い地名は文書に残らないものも多く、 今後も多くの情報が必要です。市史編さん担当ではみなさんがご存じの情報や資料をお 待ちしております。情報提供の案内は₁₁ページをご覧ください。(山下)
更に詳しい地域の名前の成り立ちは以下の文献をご覧ください。 立川市内の図書館で閲覧可能です。
・立川民俗の会 ₂₀1₀『立川民俗 第1₇号 砂川開拓開始₄₀₀年記念号』 ・砂川町 1963『砂川の歴史』
・立川市教育委員会 19₇8『立川変遷地図集』
近代部会では、立川・砂川の両役場で作成された公文書を中心に調査を進めて骨子を組み立て、これに個人宅に伝来す る史料調査の成果を加え、立川市の近代史を描く方針です。今号では、砂川地区を特集するにあたり、明治時代の小学 校の場所や歴史、調査を進める中で見えてきた課題を紹介します。
部会
特集
近代部会
高等小学校
開設まで
砂川村の小学校
明治初期の学校 現在、砂川地区にある小学校のうち、明
治初期に前身が発足した小学校は、第八小・第九小・西砂 小の3校です。
第八小は、中砂川尋常小(学区は五∼七番組)と東砂川 尋常小(学区は八∼十番組・八軒)が明治33(1900)年7月 に合併してできた「砂川尋常小学校」が前身です。中砂川 尋常小は、明治5(1872)年6月に五番組の高野源兵衛宅 に開かれた私塾、東砂川尋常小は明治5(1872)年5月に 開かれた「共同学舎」がはじまりとされています(昭和5 年「砂川尋常高等小学校概要」及び明治33年「小学校々数並位 置更定之義稟申」東京都公文書館所蔵、624.D6.13(12))。
第九小は、明治5(1872)年に流泉寺境内に開かれたと いう「西砂川小学校」が、西砂小は、明治15(1882)年 頃に林泉寺境内に設置された「西砂川学校分校(学区は中 里・殿ヶ谷・宮沢新田)」が前身です(『立川市史』及び前掲 「小学校々数並位置更定之義稟申」)。
明治5(1872)年開校とされる3校(高野源兵衛私塾、共
同学舎、西砂川小学校)は、江戸時代以来の寺子屋・私塾 と関係があると推測されますが、設立に関する同時代の史 料は見つかっておらず、実態は分かっていません。初期の 学校名についても、明治7(1884)年9月の史料には、「共 同学舎」とともに「砂川学舎」という学校名が記されて いますが、これが中砂川・西砂川どちらの学校のことであ るのかなど、不明な点が残っています(明治7年「公用留」 砂川村役場文書)。
過去の調査や書籍でも、明治初期の学校に関しては誤り と思われる記述や分からないことが多く残されています。 今後、砂川村の旧役場文書や神奈川県の公文書、個人所蔵 の史料などの探索・検討を重ねる必要があります。
高等小学校の設置 明治19(1886)年2月から昭和16(1941)
年4月までの小学校令(第1∼3及び明治40年改正)では、 義務教育の尋常小学校(第1∼3次の修業年限は4年、明治 40年改正は6年)の上級学校として、高等小学校(修業年限
凡例
黒点線…村境界 赤線…道 青線…水路
図 は 明 治25(1892)年「 武 蔵 国 北 多 摩 郡 砂 川 村 面 積 四百万分一之明細全図」及 び本文中注釈資料より作成。
宅地 社寺地 山林
西砂川学校分校
公立西砂川学校分校設置伺 明治15(1882)年9月 砂川村役場文書
砂川西学校位置図(部分) 明治18(1885)年3月
砂川村役場文書
西砂川小学校
砂川村高等小学校計画地
西砂川尋常高等小学校
明治15(1882)年ヵ∼。3253番地。西砂川学校 分校は、明治15年9月に砂川村西部に住む児童 の通学の便を図るため、林泉寺境内に開設許可 を得た。開校以前、西砂川の児童は三番組の西 砂川学校まで通学する必要があり、設置申請書 に よ る と、 通 学 距 離 は
「40町(約4.36 ㎞)」あっ た。昭和42(1967)年4月、 第九小から独立し、西砂 小となった。
明治5(1872)年2月∼。308番地。 流泉寺境内に開学。明治33(1900)
年10月、高等科併置認可。
明治33(1900)年2月∼7月。 2038番地イ号(校舎建設予定地)。
明治33(1900)年11月∼。1602 ∼ 1607番地(設置当時)。現在の第 九小。
校
舎
新
築
移
転
現・西砂小
玉川上水
現・五日市街道
一
ノ
橋
︵
天
王
橋
︶
林
泉
7
は第1次が4年、第2次は2∼4年、第3次は2年または4年、 明治40年改正は2年)を設けることができる制度を定めてい ました。
砂 川 村 で は、 第2次 小 学 校 令 の 施 行 準 備 中、 明 治24 (1891)年8月頃から、議会で高等小学校の設置が検討され 始めました。この時、西砂川尋常小を「砂川学校」と改称 して高等科を併置する構想が生まれましたが、実現はしま せんでした(明治23∼25年「村会書類」砂川村役場文書)。
村内に高等小学校がなかった時期、砂川村の尋常小学校 卒業者が進学をする場合、他地域の高等小学校に通学・留 学する必要がありました。そのため、明治32(1899)年12 月に府立第二中学校(現・都立立川高校)が隣村の立川村に 開校することが決まり、中学校進学希望者の増加が見込ま れるようになると、村内への高等小学校設置が急務となり ました。
明治33(1900)年2月、砂川村議会は村中央部に「砂川 村高等小学校」を設置することを決議し、3月には東京府 の認可を得て、多額の寄付金も集められました。しかし、 東西に広い砂川村では、高等小学校は西部・東部に各1校 が必要とする意見も強く、5月には中砂川・東砂川尋常小 を合併し、高等科を併置することが決められました。さら に、7月には「砂川村高等小学校」計画の取り止めが、9 月には西砂川尋常小に高等科を併置することが決議されま した。これにより、砂川村には2つの尋常高等小学校が設 置されました。
高等小学校の設置は、位置や数を巡った議論の中で、村 長・収入役や複数の議員が辞職するなど、村内が大きく揺 れた問題でした(明治33年「村会会議録」立川市役所所蔵)。
民間史料の中の小学校 明治期の小学校の建設費や維持費
は、大半が保護者から集める授業料や住民からの寄付で賄 われました。また、時期により役割・役職名は異なります が、村内には学事を扱う代表人(学校世話役・学務委員・区 会議員など)が任命されていました。そのため、個人宅に残 されてきた史料の中からも、学校の運営に関する史料が見 つかることがあります。
これまでの調査では、東砂川小学校に関する史料が多く 見つかっています。学校資本金関係や公立としての運営持 続が困難となった際の私立学校建設構想、高等科併設の際 の校舎建築寄付金簿、昭和4(1929)年に火事で焼失した 校舎を再建した際の日誌などです。また、砂川村在住の人 物が遠方に留学していた友人に宛てて、東砂川小学校や村 の様子などを伝えた手紙も見つかっています。
一方、明治前期の中砂川・西砂川・西砂川分校について は、史料が少なく、あまり多くのことは分かっていません。 しかし、「分からないこと」を見つけ、調査対象を明確化す ることは、新たな調査に向けた第一歩でもあります。
学校に関する史料に限らず、資料編・通史編・テーマ編 の刊行に向けて、今後もさまざまな史料調査を重ねていき ます。
上棟式記念写真 明治34(1901)年
砂川尋常高等小学校 高野源兵衛私塾
中砂川学校
中砂川学校
東砂川小学校
明治34(1901)年2月15日∼。129番地。 校 舎 は 高 等 科
学区域からの寄 付金で建設され た。この校舎は 昭和4(1929)年 に火事で焼失し、 同年再建された。 明治5(1872)年
7月∼。245番地。
明治7(1874)年∼。 場所は要継続調査。
明治10(1877)年10月 ∼。190番地(150番地 とする史料もあり)。の ち、尋常小学校。
共同学舎(仮校舎) 明治5(1872)年6月∼。
95番地(土方鎌吉宅)。 共同学舎(東砂川学校) 明治7(1874)年2月∼。九 番組地蔵山内(場所詳細は不 明)。
明治12(1879)年2月∼。560番 地。のち尋常小学校。明治33
(1900)年7月、中砂川学校と 合併し、砂川尋常小学校とな る。同年9月、高等科併置認 可。高等科学区は五∼十番組・ 八軒。
校
舎
新
築
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校
舎
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校
舎
新
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校舎新築移転
現・第八小
五
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金
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佐
味
天
神
社
流
泉
寺
「立川の史料を読む会」
活動紹介
市史編さんと市民との協働作業
「立川の史料を読む会」※ iは、市史編さん担当と市民の皆さんとの協働作業の場として発足しました。発足の
きっかけは、市内で長きにわたって、古文書の解読や史料集の編さん活動をされてきた「公私日記研究会」※ iiの
方々に、市史編さん事業として、古文書解読を一緒に行うことについて呼びかけたことでした。
初めての試みであったため、会の運営や、解読する古文書の選定など、「公私日記研究会」の方々と相談しなが ら進めていきました。具体的な活動は、編さん事業の中で新たに存在が確認された古文書の中から、内容・分量 共に市民の皆さんと解読することに適した古文書を選び、輪読会形式で進めることとしました。
この特集では、本会がこれまで行ってきた活動を振り返るとともに、参加者の皆さんの声を紹介します。
平成28年度の活動
平成28年度の活動は、月2回・隔週金曜日の13時30分から15時 30分まで、歴史民俗資料館の会議室で行いました。「公私日記研究 会」からは14名の方々にご参加をいただき、市史編さん担当の専門 嘱託と調査員が事務局として会の運営・進行にあたりました。第1 回「立川の史料を読む会」は、5月20日に開催されました。
輪読した古文書は、柴崎村で江戸時代に村役人を務めた鈴木家に 残された古文書※ iiiの中から、安政2(1855)年「鎮守諏訪宮造営
中日記写」(横帳・全46丁、以下「日記」という)を選定しました (写真1a,b)。はじめに、日記1日分の記事を原則として1人分の 解読・翻刻分量と決め、参加者一人一人に割り当てました。1回の 会で解読を行う担当者は2∼3人とし、各担当者には事前に割り当 てた箇所の解読・翻刻を行ってきていただきました。
会の当日は、担当者が作成してきた翻刻文を音読し、合わせて内
▼ 写真1a(綴じ位置右) 「鎮守諏訪宮造営中日記写」の表紙 (『鈴木家文書』立川市歴史民俗資料館所蔵)
▼ 写真1b 冒頭部分
▲ 「立川の史料を読む会」活動のようす(平成28(2016)年撮影)
▼ 写真2 「売リ渡シ申田畑手形之事」(『小川家文書』)
元
禄
十
五
年
午
︵
一
七
〇
二
︶
︵
一
八
五
五
︶
安
政
二
年
乙
9
容の解説も行っていただきました。参加者は、担当者から配られる翻刻文と解説文に目を通しつつ音読される内容にも耳を傾けます。その 後、みんなで話し合い、翻刻した文字に訂正が必要と思われる箇所が あれば、直した上で日記翻刻文を仕上げていきました。
年度内での日記解読終了が危ぶまれた時期もありましたが、参加者 皆さんの頑張りに助けられ、第19回目にあたる平成29年3月3日に無 事読み終えることが出来ました。
結果として、右表のとおり全20回にわたる活動実績を積み上げ、 日記の解読文は、市史編さん担当と参加者の皆さんとの協働作業に よって完成した最初の貴重な成果物となりました。
平成29年度の活動
2年目を迎えた今年度は、柴崎村で江戸時代初期に村役人を務めた 小川家に残る古文書※ ivを素材としました。今年度は前年度のように
日記1冊を一年間かけて読み進める形をとらず、時代も内容も異なる史料計22点を1回の会につき1∼2点解読す ることとしました。これは、協働作業の成果物が「資料編」の掲載に直結する形となることを企図しています。活 動は月1回、毎月第3金曜日の13時30分から15時30分まで、参加者は、若干の変動はありましたが、前年度と同様 14名となっております。前年度に読み進めた「日記」とは、史料の作成年代や性格、くずし字の字体などがかなり 異なります(写真2)が、皆さん四苦八苦しながらも解読を進めています。一点一点が豊富な内容をもつ史料を丁 寧に解読していくことで、江戸時代における柴崎村の様子が少しずつ明らかになることが期待されます。
ここまで駆け足でしたが、「立川の史料を読む会」の活動を紹介してきました。本会は、まだ発足して2年目を 迎えたばかりで、事務局でも日々試行錯誤しながら運営しているのが正直なところです。
今後も会の方々に協力をいただき、立川に残る古文書の解読を少しずつ進めるとともに、よりよい協働作業のあ り方を模索していきたいと思います。
※ i 平成28年度当初は、解読する史料の性格等を考慮し、会の名称を「日記輪読会」としてスタートさせましたが、平成29年度からは日記以外 の史料も幅広く読み進めていこうとの考え方に立ち、名称を「立川の史料を読む会」に変え、現在に至っています。本稿では、会の名称は 原則として「立川の史料を読む会」と表記します。
※ ii 「公私日記研究会」は、昭和51(1976)年に会員13名で発足し現在も活動を続けている市民団体です。同会がこれまで残してきた成果物は、 幕末に柴崎村の名主を務めた鈴木平九郎が書き留めた「公私日記」を全文翻刻した初版本(全20冊)と、同巻末に掲載された『公私日記研 究(創刊号∼ 12号)』、同日記の翻刻改訂版(全5巻)など多くあります。
※ iii 鈴木家文書は、『立川市史資料集 第四集』で771点が目録化されており、その後5千点を超える新たな文書群が発見され(立川市歴史民俗 資料館寄贈文書)、現在、市史編さん事業のひとつとして資料整理を進めています。今年度末には整理結果を「新編立川市史鈴木家文書調査 報告書」として刊行する予定です。
※ iv 小川家文書は、『立川市史資料集 第二集』に、25点の文書の目録と解読文が掲載されています。今回の市史編さん事業の調査の中で、同家 の文書を借用し再整理したところ、既に掲載された文書の他にも新たな史料が発見され、現在計227点の文書が目録化されています。
平成28年度開催実績
回数 開催月日 会の内容 輪 読担当者参加人数
1 5月₂₀日 担当による報告・日記輪読スタート 1 ₁₄
2 6月3日 日記輪読(2人担当 ) 2 ₁₂
3 6月₁₇日 日記輪読(2人担当 ) 2 ₁₂
4 7月1日 日記輪読(2人担当 ) 2 ₁₁
5 7月₁₅日 日記輪読(2人担当 ) 2 ₁₃
6 8月5日 日記輪読(2人担当 ) 2 ₁₀
7 8月₁₉日 日記輪読(2人担当 ) 2 ₁₂
8 9月2日 日記輪読(2人担当 ) 2 ₁₃
9 9月₁₆日 日記輪読(2人担当 ) 2 ₁₂
₁₀ ₁₀月7日 日記輪読(2人担当 ) 2 ₁₃
₁₁ ₁₀月₂₁日 日記輪読(2人担当 ) 2 ₁₃
₁₂ ₁₁月₁₈日 日記輪読(2人担当 ) 2 ₁₄
₁₃ ₁₂月2日 日記輪読(3人担当 ) 3 ₁₂
₁₄ ₁₂月₁₆日 日記輪読(3人担当 ) 3 ₁₂
₁₅ 1月6日 日記輪読(3人担当 ) 3 ₁₃
₁₆ 1月₂₀日 日記輪読(3人担当 ) 3 ₁₃
₁₇ 2月3日 日記輪読(3人担当 ) 3 ₁₄
₁₈ 2月₁₇日 日記輪読(3人担当 ) 3 ₁₁
₁₉ 3月3日 日記輪読(3人担当 ) →輪読終了 3 ₁₃
₂₀ 3月₁₇日 担当による総括・来年度活動の説明 0 (₁₃)
髙橋 均さん 府中市在住
この会に参加して、「公 私日記」以外の立川の史 料も読む機会が増えまし た。古文書の学習を始め て2年足らずですが、立 川や周辺の往時の生活や 時代背景も少しずつ理解 出来る様になってきまし た。
甲斐 正昭さん 立川市在住
江戸時代の人々がどのよ うな考え方をし、生活を していたかを知りたく 「公私日記研究会」に入 会し、1年3か月が経過 しました。古文書の崩し 字解読に四苦八苦してい ます。習うより慣れよ!
下川 晃義さん 府中市在住
「公私日記」の研究会を 機に出席することになり ました。毎回苦慮してい ますが、前向きに立川の 近世史への理解を深めた いと願っています。
松田 説子さん 昭島市在住
今迄昭島市と立川市の文 書を読み続けてきまし た。一番古い物で享保年 間の文書でしたが、此処 では現在近世初期寛文年 間の文書を読ませて頂い ており、次々と疑問が沸 いてきて、謎解きを楽し んでいます。
増本 豊治さん 立川市外在住
古文書を勉強するように なって1₀年近くになりま すが、「立川の史料を読 む会」に参加して、1枚 の古文書のバックにある 歴史的背景を正確に把握 する事が非常に大切であ ると痛感しました。
永瀬 鉄男さん 小金井市在住
古文書を通して地方(じ かた)の人々の暮らしや 村の仕組みに関心を持ち ました。当時の人々が手 を染めた生の史料を眼前 にすると、古文書学習の 醍醐味を感じますね。
本江 俊美さん 飯能市在住
「公私日記研究会」に参 加していて、その延長で 参加させていただいてお ります。立川市の歴史を 知る貴重な会ですので楽 しみにしております。
日野 さよ子さん 福生市在住
「公私日記」を通して、 江戸後期の多摩の歴史を 学んできました。この度 は江戸時代初期の文書も あり、難しさの中に言葉 は生きていることを実感 しています。あとは砂川 の文書が読めたらうれし
松村 武夫さん 立川市在住
19₇1年、立川市への転居 後まもなく、立川市の歴 史を知らなくてはと思 い、「公私日記研究会」 へ入会。「公私日記」と それに関連する史料を読 み、今ではすっかり立川 市民になっています。
西村 達朗さん 国立市在住
昨年から当編さん事業の一
環である「立川の史料を読
む会」に参加、今後の調査・ 収集に依り新たな資料群の 現出を期待しつつ、新史 料の解読・分析作業に携 わりそれらを通して微力な がらも編さん事業に貢献で きれば無上の喜びである。
吉村 健司さん 立川市在住
昨年は安政年間の諏訪神 社建替の記録を読みまし た。「公私日記」と対照 できて大変有意義でし た。今年は小川家文書に 取り組んでいます。近世 初中期の柴崎村がどんな 様子だったか、興味津々 です。
T さん 立川市外在住
これまで参加してきた勉 強会では読んだ事のない 文書を勉強出来るので楽 しく参加しています。 毎回活発に意見を出し合い、文書解読に励む参加者の皆さん。立川市内 だけでなく、市外から参加されている方もいらっしゃいます。「史料を読 む会」に対する思いや意気込みなどをお聞きしました。
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資料提供のお願い
平成29年4月∼9月活動報告
月 日 活動内容 月 日 活動内容
4 月
9日 第 1 回・近代部会会議
7月
2日 第1回・民俗・地誌部会会議
13 日 現代部会聞取り調査 16 日 古代・中世部会市内石造物調査
21 日 市民協働作業(立川の史料を読む会) 21 日 市民協働作業(立川の史料を読む会)
29 日 現代部会市内巡見 23 日 第1回・近世部会会議
5 月 19 日 市民協働作業(立川の史料を読む会)
8月
1日 執務室の移転
28 日 民俗・地誌部会柴崎町座談会 17 日 第6回・立川市史編集委員会議
6 月
1日 現代部会聞取り調査 18 日 市民協働作業(立川の史料を読む会)
2日 先史部会古墳測量事前調査 27 日 第2回・近代部会会議
16 日 市民協働作業(立川の史料を読む会) 30 日 第1回・古代・中世部会会議
30 日 中世・近世部会錦町蔵出し調査
9月
1 日 第6回・立川市史編さん委員会会議 12 日 第1回・現代部会会議
15 日 市民協働作業(立川の史料を読む会) 17 日 第2回・近世部会会議
[資料の例]
■文書、書類、印刷物
江戸時代から平成に至るまでのさまざまな古文書・書類・ 会誌・記念誌、チラシ・広告などの印刷物。
■絵図、地図類、写真映像、音声
土地の変遷や街並みのわかる絵図、地図類、景観や人の暮 らしを写した写真や映像、音声など。
■地域の年中行事・信仰、ムラのつきあいや慣習など ■石器や土器など考古資料
市史編さん広報紙
vol.4
平成29(2017)年9月20日発行
発行 立川市産業文化スポーツ部地域文化課市史編さん担当 〒190-8666 東京都立川市泉町1156-9
TEL (042)506-0021 / FAX(042)525-1601 E-mail [email protected]
URL http://www.city.tachikawa.lg.jp/chiikibunka/sisi/hensanshitu/shishi_top.html
印刷 ぎょうせいデジタル株式会社
資料提供のお願い
古文書・絵図・地図・写真・地域の年中行事・信 仰・考古資料などの情報をおよせください。
市史の編さんには、市民のみなさまのご協力が不可 欠です。ご提供いただける資料やお聞かせいただける お話がありましたら、市史編さん担当(電話042−506 −0021)までご連絡ください。
《お詫びと訂正》
第3号「部会特集(現代部会)立川駅北東エリアを歩く」の一部に誤りがありました。お詫びいたしますとともに、 以下のように訂正させていただきます。
6頁 「5 栄緑地(旧引込線)」の項目
(誤) 立川飛行場の建設とともに → (正) 立川飛行場建設ののち
平成29年8月1日から、立川市史編さんの執務場所は下記の住所に移転しました。 錦町3−5−22 YAZAWA DEUX Bldg. 201号
(旧ジブラルタ生命立川ビル)
お知らせ
お知らせ
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川
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ぎ
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も
、
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だ
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度
も
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川
を
訪
れ
た
こ
と
が
な
い
人
も
、
足
を
止
め
て
素
顔
の
砂
川
を
味
わ
っ
て
み
て
は
い
か
が
で
し
ょ
う
か
。
撮
影
伊
藤
龍
也
砂
川
在
住
▲玉川上水 松中橋
▲砂川町7丁目
▲若葉町 鷹の道
▲南部公園 ▲金比羅山から見た富士山